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2018年10月26日(金)、昭和45年にデビュー曲「愛のきずな」がヒットして一躍人気歌手となった安倍里葎子が「徹子の部屋」に登場して、波瀾万丈な歌手人生、母と二人三脚で歩いてきた人生を語ってくれた。

安倍里葎子は、「愛のきずな」を歌い始めてから48年になる。今年70歳になった今も現役アーティストとして歌い続けている。

彼女の両親は2歳の頃に離婚して、祖母に育てられた。祖母が亡くなり、母親が東京に出てくると一緒に生活するようになった。母親は現在89歳で、一緒に楽しく晩酌を交わす間柄。そんな母には「100才以上生きて欲しい」と願っているとのこと。

安倍里葎子は猫を2匹飼っている。名前は「めでたい方が良い」ということでツルとカメと名付けた。

安倍里葎子は小学生の頃からバレエをしていた。彼女が高校を卒業した時に、祖母から「もう一つくらい趣味をもちなさい」と言われて、祖母の古い友人の息子さんがラテン歌手をしていると教えられた。彼は、地元北海道のすすきので音楽喫茶を開いていて、そこで歌のレッスンを受けるようになった。画期的なお店だったので、色々な方が出入りし、平尾昌晃先生も訪れていた。

そんな昭和44年の夏、そこで歌っていた彼女に声をかけたのが、作曲家の平尾昌晃さん。
安倍里葎子は、平尾昌晃さんにスカウトされて、昭和45年の3月に上京し、その年の8月にデビューしたが、その頃平尾昌晃さんは体調を崩して入院されていたので、デビュー曲は鈴木淳先生が担当。

デビューしたばかりの安倍里葎子を売り出すために、「水着以外の取材はお断り」という衝撃的なキャンペーンが展開される。
その型破りな作戦が功を奏したのか、ヒットして、その年の日本レコード大賞で新人賞を受賞。

しかし、それ以降はなかなかヒット曲に恵まれなかった。13年の月日を経て、キャバレーで歌っていた頃に出会ったのが、橋幸夫さんのデュエット曲「今夜は離さない」。

安倍里葎子は現在70歳。徹子さんが「お肌がずいぶんきれいね」と言うと、彼女は「若い頃に東京に出てきて見るもの聞くもの全てが初めてのことだったのでいろいろ試してみたけど、ここ何十年は特別なことはしていない。祖母も母も肌の強い人だった。」と語った。

芸名で安倍になった理由について、徹子さんから尋ねられると、中学生の頃、私のことをクマでベアちゃんと呼ぶ人がいて、そのことを事務所の担当者に話したら、『それなら、ひっくり返して安倍にしよう』と言われた。それで、「愛のきずな」がヒットした。しかし、それ以降はヒットしなくて、字数が悪いからそうなんだと、ひらがなの『あべ』に変更したいと思った。「『ひらがなにしたら結婚できるかもしれない』と言われたのに、ひらがなに変更しなかったので結婚できなかった」と明かした。

その他、デュエット時代のことやマジックの話に花が咲いた。

番組を視聴して シンガープロ:安藤秀樹


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